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私の貴重な夏休みも後一週間となりました。
9月から財務諸表論を取るべく、申し込みをしてしまいました。という事は、
教材が9/1発送な訳で、多分9/2から早速来年8月へ向けての長くて、短い一年
が始まってしまうのです~~~
勉強することはそれ程苦では無いのですが、本が読めなくなるのが本当に
辛い・・・。これ程までに本を渇望していたのか、と自分で呆れてしまう
程、今は本にかじりついています。
出来ることなら、一瞬でも本から目を離したくない・・
ってそうも行きませんわな。
本の魅力って、つまり、本を通して実は自分の内側をじーーーっと観察して
いくことなんだな、って気付きました。
時間がいくらでもある時は、それが当たり前のことだったから気付かなかった
けれど、他人が紡いだ言葉を使って、自分自身を発見していくことが、
面白い訳だったり、快感だったり・・・。
まるで禅の世界ですわな。
ヒロコフォンも言っていたけれど、ライブもそれに似ているかも。音楽を通して
結局は自分をみつめ、自分を乗り越え、その上で何かを伝えるのって、
かなり禅っぽいよね。
本は外へ出す訳ではないけれど、自分を見つめる作業はライブと通じるものを
感じるんだけど・・・。
だから、若い時程、自分にとって良い本を沢山読まなくてはならないんだろうね。
自分が何者なのかを探す旅を本を通じてすることができる。自分が実体験として
積むことが無い体験を本を通じてすることができる。すごく素敵で素晴らしくて
大切なことなんじゃないかなぁ。
今、子供を持って、自分を見つめる時間は昔に比べて遥かに減っている。
しょうがないことなんだけれど、自分が気付かない内に、何か自分がやばい
方向へ行っていたりしないか、やはり冷静に見ていかないといけないと
思う。
その為の重要なツールが、私にとっては音楽であり、本であるんだなぁ。
さて、今日読み終わった本
さまよう刃(東野圭吾)
娘を強姦殺人で失った父親が復讐すべく犯人を追う。警察が更にその父親を
追いかける。しかし、父親の復讐は果たして正当化されるのか?司法は
少年である犯人をどう裁けるのか?
本当に重い主題です。娘を持つ親の立場で読むと、本当に辛い一冊でした。
常に、私ならどうするか?夫ならどうするか?もし加害者の親になったらどうするか?
を自分自身に問いかけながら読まざるを得なくされてしまう東野圭吾の文才
には、本当に脱帽です。
でも、本当に辛かった。結局自分の中では答えは出せません。というより、
想像することすら避けたい・・・。
でも、裁判員制度が始まり、司法の場が自分の隣にやって来ようとしている以上、
やはり親として、人として、目をそむけてはいけない主題だと思います。
親として成長していく中で、自分なりの意見を持っていかなくてはいけない。
一つの課題となりました。
それにしても、このストーリーの父親、長峰は浦沢直樹の「Monster」の主人公
テンマに似ています。
テンマは自らの手で、Monsterである少年の命を救ってしまいます。その結果
彼によって引き起こされる悲劇を防ぐ為に、全てを捨てて少年を追います。
悪人でない主人公が、自らの手を汚すべく、悪人を追い、自らが悪人でない
故にその目的が正義なのか、そうでないのか、迷い、苦しむ。
読み手は主人公に共感するから、一緒に彼の迷いや苦しみを共有してしまう・・・。
バーチャルな体験に過ぎないといえばそれまでだけど、そういう疑似体験
を通して、想像力って養われるんだよね。
やっぱり、今の世の中、もっとみんな本を読むべきなんだろうな。想像力
の欠如こそ、一番恐ろしいのかも。
9月から財務諸表論を取るべく、申し込みをしてしまいました。という事は、
教材が9/1発送な訳で、多分9/2から早速来年8月へ向けての長くて、短い一年
が始まってしまうのです~~~

勉強することはそれ程苦では無いのですが、本が読めなくなるのが本当に
辛い・・・。これ程までに本を渇望していたのか、と自分で呆れてしまう
程、今は本にかじりついています。
出来ることなら、一瞬でも本から目を離したくない・・

ってそうも行きませんわな。
本の魅力って、つまり、本を通して実は自分の内側をじーーーっと観察して
いくことなんだな、って気付きました。
時間がいくらでもある時は、それが当たり前のことだったから気付かなかった
けれど、他人が紡いだ言葉を使って、自分自身を発見していくことが、
面白い訳だったり、快感だったり・・・。
まるで禅の世界ですわな。
ヒロコフォンも言っていたけれど、ライブもそれに似ているかも。音楽を通して
結局は自分をみつめ、自分を乗り越え、その上で何かを伝えるのって、
かなり禅っぽいよね。
本は外へ出す訳ではないけれど、自分を見つめる作業はライブと通じるものを
感じるんだけど・・・。
だから、若い時程、自分にとって良い本を沢山読まなくてはならないんだろうね。
自分が何者なのかを探す旅を本を通じてすることができる。自分が実体験として
積むことが無い体験を本を通じてすることができる。すごく素敵で素晴らしくて
大切なことなんじゃないかなぁ。
今、子供を持って、自分を見つめる時間は昔に比べて遥かに減っている。
しょうがないことなんだけれど、自分が気付かない内に、何か自分がやばい
方向へ行っていたりしないか、やはり冷静に見ていかないといけないと
思う。
その為の重要なツールが、私にとっては音楽であり、本であるんだなぁ。
さて、今日読み終わった本

娘を強姦殺人で失った父親が復讐すべく犯人を追う。警察が更にその父親を
追いかける。しかし、父親の復讐は果たして正当化されるのか?司法は
少年である犯人をどう裁けるのか?
本当に重い主題です。娘を持つ親の立場で読むと、本当に辛い一冊でした。
常に、私ならどうするか?夫ならどうするか?もし加害者の親になったらどうするか?
を自分自身に問いかけながら読まざるを得なくされてしまう東野圭吾の文才
には、本当に脱帽です。
でも、本当に辛かった。結局自分の中では答えは出せません。というより、
想像することすら避けたい・・・。
でも、裁判員制度が始まり、司法の場が自分の隣にやって来ようとしている以上、
やはり親として、人として、目をそむけてはいけない主題だと思います。
親として成長していく中で、自分なりの意見を持っていかなくてはいけない。
一つの課題となりました。
それにしても、このストーリーの父親、長峰は浦沢直樹の「Monster」の主人公
テンマに似ています。
テンマは自らの手で、Monsterである少年の命を救ってしまいます。その結果
彼によって引き起こされる悲劇を防ぐ為に、全てを捨てて少年を追います。
悪人でない主人公が、自らの手を汚すべく、悪人を追い、自らが悪人でない
故にその目的が正義なのか、そうでないのか、迷い、苦しむ。
読み手は主人公に共感するから、一緒に彼の迷いや苦しみを共有してしまう・・・。
バーチャルな体験に過ぎないといえばそれまでだけど、そういう疑似体験
を通して、想像力って養われるんだよね。
やっぱり、今の世の中、もっとみんな本を読むべきなんだろうな。想像力
の欠如こそ、一番恐ろしいのかも。
コメント
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返信削除PASS:
こんばんわ。
タイトルが気になって・・なるほどって感じです
又、拝見しに来ます。
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返信削除PASS:
きらり510さん、はじめまして。
タイトルは・・・その通りです。活字中毒なもので・・。
是非またお寄りください!!
きらり510さん
>こんばんわ。
>
>タイトルが気になって・・なるほどって感じです
>
>又、拝見しに来ます。
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